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White Magic,Black NoiseThink for yourself,Learn to swim,Let go&Spiral out,Keep going!
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2011.03.11 Friday
3/11
地震で震災された方々に心からお見舞い申し上げます。 11日は会社にいました。 いつもならその時間は地下の郵便局に行く時間なのに、忙しくてたまたまオフィスにいました。会社には地震の予知を知らせるアラームがあるのですがそれが鳴って、1分後くらいに下から突き上げられるような縦揺れ、その後に大きく横揺れが起きました。 オフィスは35階。隣にあった空席の椅子がオフィスの端へ滑ってぶつかりまた反対側へ滑っていきぶつかり、キャビネットは左右に交互に振り切って、扉の中からファイルがドサドサ落ちてきました。エレベーターがガーン、ガーンと壁にぶつかった音や、ギシギシという建物の音が怖かったです。 今までで一番の揺れだったので皆机の中にもぐり、数分?10分くらい?して揺れがギーコ、ギーコと大きくゆっくりした揺れになった頃にみんな出てきて、社員の安全確認などがはじまりました。 うちのビルの構造は地震の時はわざと揺れて倒れにくくしているような構造らしいので地震の後の余韻がとても長いんです。一旦揺れると10分くらいは船のアトラクションに乗ってるような揺れが続いて気分が悪くなり、座っててもふんばってないとだし、余計酔うのでPC画面はまったく見れなくて、30分くらいは誰も仕事ができなかったと思います。 机の中にいる時私は娘の事しか考えられず、不安でいっぱいでした。 一回目が収まってから館内放送で、「ガラスの落下などがあるので慌てて下に降りないように、その場で待機してください。火を取り扱っている場所ではすぐに消してください」 というアナウンスがありました。 すぐ上の階と、地下はレストラン街なので火事が心配でした。 私は支社への連絡や出張中の人の安否確認をしなければいけなかったので、主人に子供の安否確認をしてもらい(e-mailは普通に通じてたのでお願いしました)かなりバタバタしていました。 社員の数を数えたら、勝手に下に降りた人も数人いて、パニックさを実感しました。 こういった時は団体で避難するよう日頃訓練していたのに。 うちの部はキャビネットの一部が外れて大きく歪んでいました。 でももう地震は来ないと思って、途中だった仕事の残りを片付けているとまたアラームが鳴って、「またくるよー!!」と大声が聞こえてきて、まさかの2回目の大きな揺れがありました。 2回目の揺れの後にキャビネットの鍵をしめたり、テープで袖机の引き出しを留めたりしました。 その後も同じような揺れがあって、でも電車は止まっているし、どうやって帰ろう、電車はしばらく止まっているだろうし、、 と徒歩での帰宅ルートをぐーぐるまっぷで検索すると2時間半と出たので、歩いて帰ろう! と決めました。が、印刷しようとしたらいきなりネットが重くなって、ぜんぜん印刷できなくて。 近くにいて様子を見ていた人にマピオンがいいよ!っていわれたのでマピオンで検索して、印刷。 16時半に階段を下りました。 数年前もエレベーターが止まって歩いて降りたことがあるけど、また同じ事になるとは。 今回はヒールの靴は置いていき、代わりに社内履き(ナースサンダル)のまま帰宅する事にしました。 スニーカーの用意、今度こそしなきゃ…。 意外にも会社付近でちょっと迷いましたが、四谷のあたりからかなりの人がヘルメットを被って歩いているので、ついていったり、交通整理の警察官に道をきいたりして、検索ルートは大きくずれたりもしましたが、なんとか進みました。 皇居につく前…どの辺りだろ?とにかくその辺で歩道に人が溢れ、早歩きもできないので車道をしばらく小走りしました。車はほとんど止まってるので車道はあまり危なくなかったけど、たまにバイクで通るので怖かったです。 この頃家族や友達とのメールがたまに繋がるようになってきましたが電話はまったく通じません。 公衆電話は行列、ハイヒールを持ってスリッパで歩いている女性もいました。 会社からと3時間半後の午後8時に保育園につきました。 必死だったので、疲れというよりは、娘の顔を見てただただ安堵した気持ちでいっぱいでした。娘は意外にもしっかりとしていて、夕食も食べていてくれました。 先生は涙を流して、よくがんばったね。と言ってくれました。 マンションに着くとエレベーターは止まっているので、子供と荷物を抱えて階段を上がるのがこの道のりで1番大変なことでした。1階上がる度に休憩していると娘は不安そうに泣き出すので、最後の力を振り絞って家につきました。それが8時半くらいだったので結局4時間かかりました。 TVをつけて、はじめて震源地近くのあまりにも悲惨な状況を目の当たりにし、ゾッとしました。日本の出来事でないみたいな、うそみたいな光景でした。 主人は5時間かけて歩いて帰ってきてくれて家族がやっと再会できて… SMILE TOURで行った仙台の街や、松島の風景を思い出すと心が痛みます。 被災者の願いや祈りが想いの先へ繋がりますように。
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